「ちゃんと準備ができてからやろう」
「私なんて、まだまだ」
「今はまだその時期ではない」
そう思う事はありませんか。
私もずっとそう思っていた一人でした。
頭のアイディアを形にして、周りに提供する
こんにちは、ブエナ・ビスタ・ソシアル・オフィスの伊藤もんです。
リスクを負うのが怖かったし、やって失敗したら嫌だし、「なんか変わったことやってんな、あの人」とも思われたくないし。
でも、このアイディアは絶対に人に提供してみたい!と思っていました。
それは、デスカフェ発祥の地”スイス”の高齢者施設で働く日本人看護師さんと、静岡の医療福祉関係者を繋ぐこと!
海外でも日本でも、相手の力を信じてケアしたり支援したりする気持ちは変わらないということを、皆で分かち合いたい。そう思っていました。
今はインターネットで世界中の人とつながれる。
つながれるだけでなく、同時刻にテレビ通話を介して話もできる。
今まではお互いのPC上でやっていたようなことが、100人参加しても安定供給できるソフトも開発された。
ただ、東京で働いていた時も、静岡で働いていた時も、ベテラン福祉関係者はパソコンやインターネットにものすごく疎い人が多かったんです。
おそらく、インターネット上に、静岡の福祉関係者を呼ぼうと思っても、おそらくホームページをクリックするところまでしか、できない・・・。
WEBでの申し込みや、ソフトのダウンロードなどは、参加してほしいターゲット層には難しい方も多いと感じていました。
それなら、開催手法などはすべて自分が請けおって、参加者の皆さんには通常の会場参加型の形で提供しようと考えました。
ちなみに、その開催手法で何かを開催したことも、参加したこともありません。理論上は一見簡単そうでしたが、詳しい人から話を聞くと、かなり複雑。
リハーサルでも、四苦八苦しながらパソコンから設定。マイクはハウリングしつづけ、一抹の不安。
「この操作をしながら、司会進行もやるのか・・・」と、むくむく出てくる弱気な気持ち。
不安定な要素ばかりでした。
開催者としてのふりかえり
それでも、2018年6月29日、静岡市内でトークイベントを開催しました。
始める前までは、一人で孤軍奮闘する姿しか想像できませんでした。
でも、踏み出してみたら、さまざまな人がたくさんの応援をくれました。
トークゲストの方も、このイベントのためにたくさんの時間を割いてくれました。
やりきってみたら、たくさんの反省点と、「今の時点で、できることはすべてやった」と、自分でも意外なほどのすがすがしい気持ちに包まれました。
一人で何かを成し遂げるなんてことはありません。
そこにあったのは、たくさんの人の協力と応援と叱咤激励と、
「こんな取り組み、初めてです」「スイスのことが、気になってきました」という嬉しい感想でした。
やってみたから得られた反応がある
トークイベントのタイトルは「施設ケア・死生観~日本とスイス、何が違う?~」というものです。
私は2018年1月から、「デスカフェ」という生と死について語りあう茶話会を開催しています。
・デスカフェとは
Death cafe(デスカフェ)とは、2004年にスイスの社会学者によって始められた、『死について気軽に語り合える場』のこと。現在は、公式ホームページも設置され、世界中のデスカフェ開催情報が一目で見られるようになっています。(公式ホームページdeathcafe.com)
日本では、喫茶店で行われたり、お寺で行われたりしています。『カフェ』という名前がついていますが、飲食店のカフェよりも、『茶話会』というイメージの方が、しっくり来ます。
このデスカフェのfacebook広報をとおして知り合ったのが、スイスの介護ホスピス施設に勤める日本人看護師Mさんでした。
Mさんの話は、聞けば聞くほどおもしろくて、時間がいくらあっても足りません。
そして、スイスという国の人達の「生き方」「死に方」「そのあと」に関する考え方は驚くほど新鮮でした。
日本は驚くべき早さで高齢化が進んでいます。しかし、そこに日本人全体の気持ちがついていっていません。
圧迫の一途をたどる医療費・介護費。高齢化と共に上がる死亡率。高齢者のケアや支援をする支援者側の気持ちも、宙に浮いたまま。割り切るか、向き合いきれず燃え尽き症候群になるかのどちらかです。
そこで、思ったのです。
「このスイスの話を、静岡に勤める福祉や医療関係者に伝えたい」と。
そして、その思いだけで、Mさんに話を持ちかけました。結果は、二つ返事。
本当にMさんには感謝しかありません。
このテクノロジーが発達した現代、技術的にさまざまなことが可能です。
スイスから本人をわざわざ呼びよせずとも、インターネット会議システムを使えば、パソコンやスマホのカメラ・マイク機能で、テレビ電話のように、自由に話せる時代です。
そのテレビ電話の映像をプロジェクターでスクリーンに映し出せば、理論的には実現可能。
こうして、九州に住むシステムに詳しい方に教わったインターネット技術を携えて、会場を手配し、チラシを配り、facebookやブログで広報し、当日の開催にこぎつけました。
スイスの介護ホスピスの話を、静岡の会場にネット生中継で届けてみた
当日は、準備万端。開始5分前には、ほとんどの準備が終わり、「さあ、スイスと繋げるぞ」となりました。
しかし、その瞬間、当日の悪天候により、インターネットが切断されました。使用予定だったパソコンでの設定はすべて使用不能。
代替のパソコンを用意してもらい、設定をし直し、スタートできたのは開始時刻の30分後。
当初の予定をショートカットしながら、こんなトピックを話して頂きました。
トピック1)それぞれの国の介護のあり方、よいところ
日本:チームケア、クオリティ。
スイス:自分なりに考えたケア、他人のケアに口出ししない。
トピック2)それぞれの国の死生観
日本:「食べないと、元気になれないよ。死んじゃうよ。」
スイス:「○○から、食べれなくなるんだね。飲めなくなるんだね」
施設だけでなく、家族の日常会話でも「明日はどうなるか分からない」というワードで出てくる。
トピック3)それぞれの国の見送り方
日本:生きている間は、『なんとかしてあげたい』。死んでからも33回忌まで手厚く供養する。先祖代々の墓。
スイス:心臓が止まるまでの時間を皆で待つ。誰かが本人のそばにいること、本人の痛みを分かち合う。その人の人生は、亡くなったらそこでおしまい。
生まれることと死ぬことは、その人ひとりのもの。家族や友人が立ち会えなくても、そこまで悲壮感はない。
魂の国、日本。死が属人的な国、スイス。
トピック4)スイスの入居者さんたちのくらし、終末期、医療、緩和ケア
①くらし:○○を求めない(入浴回数・食事内容etc)。職員と入居者の対等な関係性。
②終末期:「動けない、歩けないなら、○○○も一緒」が共通認識。
終末期の過ごし方は自分で決めるのが当たりまえ、選択肢の一つに自殺ほう助も法律的に認められている。政治も人生も自己決定の文化。
静岡にいる人達とスイスの対話の場を大切に
会場には、高齢者福祉の関係者、身体・知的・精神障害の関係者、医療の関係者、市民の方々、さまざまな立場の方が来て下さいました。
このイベントが、スイスと静岡の相互交流の場になるよう、心がけました。
初めて来てくれた参加者の方に、「お勤めの(日本の)介護施設の状況を教えてください。」「これまでの医療ケアの体験から緩和ケアについて教えてください。」とマイクを向けたり、質疑応答を適宜取り入れたりして、Mさんとの対話をしてもらいました。
当初、2時間で組んでいた予定が、スタート時点から30分押し。1時間半の中にギューギューに詰め込んで、トピックのエッセンスをお伝えしました。
正直、時間が足りませんでした。
司会も力量足らず。
マイクとスピーカーの音質が悪く、しょっちゅうハウリングを起こす。
反省の多い1時間半となりました。
周りに提供してみたから、見える景色・反省・そしてコレカラ
でも、正直なところ、『これ以上』のことは、『今の私』にはできなかった。
これが、本当のところです。
いつもお世話になっている社会福祉法人様に無償で会場を貸していただきました。
代替のパソコンまで貸与してもらいました。
参加した皆さんからも、参加費を頂きました。
たくさんの方々の厚意に甘えながら、
はっきり言って、クオリティとしては散々だったと思います。
それでも、『これ以上』のことは、『今の私』にはできなかった。
ということが、はっきり分かったから、
「打ち合わせで、Mさんと『これは伝えたいね』と言っていた内容は、掘り下げきれなかったけど、こぼすことなく全部伝えられた」と、妙にすがすがしい気分も感じていました。
「次は、もっといいものが作れる」
とも思いました。
だから、次に提供する時には・・・・
もっとスムーズに場を提供し、
もっと密度濃く、
話を掘り下げていく。
今回以上の価値を、提供したい。
これは、ひとまずやってみたからこそわかったことです。
行動する前に、思っていたこと。
リスクを負うのが怖かったし、やって失敗したら嫌だし、「なんか変わったことやってんな、あの人」とも思われたくないし。
そんな思いは、今はもうありません。
リスクは何もなかったし、失敗したけど次があるし、「なんか変わったこと」はやっているかもしれないけど、それ以上に、たくさんの人に届けたい話がある。
やってみて思ったのは、一歩踏み出したら次はもう片方の足を踏み出さずにはいられない、ということ。
人間の姿勢を考えてみると、直立不動か動いているかのどちらかです。片足だけ踏み出したまま、静止するのは至難の業。
一度踏み出してしまえば、あとは歩いて行くか止まるか、どちらかです。
だから、まずはやってみること。
そこのあなたも、一歩踏み出してみませんか。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・オフィスも、次は、もっと価値のあるものを皆さんに提供できるように、精進してまいります。
ここまで、ご清聴ありがとうございました。