プロフィール

ドイツ に留学 したら、困難を抱えたたくさんの人に出会って、社会福祉士 を目指し、静岡でデスカフェ を開催するまでのなりゆき。

プロフィール概略

■名前
いとうもとみ(「もんちゃん」と呼んでください)

■干支
ねずみ年

■出身地
東京生まれ、埼玉育ち

■趣味
レコードを聴くこと、映画を見ること

■家族
僧職の夫と二人暮らし

■仕事
高齢者の相談窓口勤務
社会福祉士でソーシャルワーカー

■好き嫌い
山より海派。へったぴのボディボード乗り。
人の多いテーマパークが苦手。フェスや東京の人混みは大丈夫。

■人となり
行動力がある、とよく言われる。
しかしながら、疲れが出やすく体は弱め。

■音楽
YMO、電気グルーブ、レキシ、パーラメント&ファンカデリック、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン

■映画
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ、ビル・カニンガム&ニューヨーク、トレイン&スポッティング、アレス・アウフ・ツッカー、トゥルー・ロマンス、パルプ・フィクショ、ヘアー

高校でドイツに留学

私の転記は今思えば、高校三年生のとき。

一念発起して渡先で出会った多種多様な背景を抱えた人たちでした。

私が滞在したのは東西統合後のドイツ東部。その州の中でも失業率がダントツに悪く、やさぐれた雰囲気が漂う街でした。

そこで、私が出会ったのは・・・、

生活保護世帯、

母子家庭、

アルコール中毒、

ドラッグ中毒、

LGBT、LGBTであり子を持つ親たち、

知的な障害、持病を抱える子どもたち、

そして、道ですれ違うだけで攻撃しようとしてくる失業者や人種差別主義者、


そんな人たちでした。

私が通う学校は、生徒38人のモンッテッソーリ自由学校。親たちが自分の子どもに受けさせたい教育をするために作った、小さな小さな学校です。

私は特に希望したわけでもなく、その学校に日本人の高校留学生として通うことになりました。

2002年の話です。


ホームステイした先は母子家庭で生活保護世帯。買い物にも困る毎日。

同級生の保護者はLGBTで同性のカップル。二人で仲良く自分達の子どもを学校に迎えに来る。

同級生を前に「この子の生物学上の親は別にいるんだよ・・・ね?」と心の中では大混乱。

また、別の保護者はドラッグ中毒。

禁断症状が出ては他人の家をたずねては、「ここの家のどこかにドラッグがあるのではないか?」と家を漁る。ステイ先に訪問された時は、阿鼻叫喚となりました。

そして、また別の同級生は小児性の疾患を持っている。日々の生活の中で日常的な治療が必要であるため、学校生活でも気をつけないことがいくつかある。

はたまた、昼休みに学校のみんなと、お昼ご飯を外に買いに行けば、すれ違った不良グルに「このくそったれ外人め!」「この国から出ていけ!」と叫ばれる。

不良グループと友達たちが激しい言いあいになる。

ドイツでは、人種差別というのは由々しき問題。ですから、それはそれはすさまじい言葉が飛び交いました。それを、「なんかすごいことになってるなぁ」と、ボーッと見ている私に、友達が振り向いて一言。

「ねえ!もっと、ちゃんと怒らないとダメよ!


あなたのこと言われてんのよ(怒)!」


18歳の夏から19歳の春まで、

たった10ヶ月で、

日本では出会わなかった人たちと

日々を過ごし交流し、

日本では絶対に巡り合わない

出来事に行きあい、

衝撃ばかりが頭を去来して

留学生活を終えました。

『社会福祉学』という学問の存在

帰国後、すぐに大学受験に挑んだ私は、社会科学の分野に『社会福祉学』という学問があることを知りました。

ドイツで出会ったような人たちには、社会の実生活に少し困難があったり、自分らしく生きるために支援が必要な場合があること。そして、それを支援するための方法論や学説が体系化された学問があるというのです。

また、その学問の延長線上に、”社会福祉士”という国家資格があることを知りました。

【社会福祉士の詳しい説明はこちら(中央法規HPから)】

私は、その資格を取るためのカリキュラムがある大学を受験先として絞り込んでいきました。

現場で働く先生達から学ぶ

入った学部は、夜間部で働きながら通う人たちもたくさん。

講師の先生方も、内の大学を卒業し福祉の現場の第一線で現役で働いている人たちばかり。

現場の活きた情報と専門知識を学びながら、大学卒業時に資格を取得しました。

卒業から、数年。

ようやく社会福祉の現場に立とうと、まずは特別養護老人ホームの相談員として就職しました。

その中で、年120軒以上の高齢者宅を訪ねては生活実態の把握調査を行ったり、施設内のリスク管理や看取りの支援を行ったりしました。

その後、成年後見人の金銭管理や生活支援の業務に転職。一人ひとりの人生の最後に伴走しながら、看取りに関する本人や家族の医療同意の支援を行ったりしながら、

社会福祉のイロハを学んできました。

現場で働きながら感じた疑問

私には、老人ホームでの入居者さんの看取り体制の支援、

成年後見人の支援員として、終末期の医療同意手続きの支援や、本人・家族と病院側の意向のコーディネートを図りながら、一つ思ったことがあります。

『自分の人生の最後を

「お医者さんや家族が最善を尽くしてくれる」と思ったまま、

人に任せきりにしてよいのだろうか?』

昔は、このような考えのもと、人に委ねることで信頼を表すことで、うまくいっていたのだと思います。

しかし、この現代においては、親族はいるが遠方、高齢、もしくはいない、

医療が発達し多くの延命治療の選択肢がある、

ということを考えると、

なかなか人に委ねるのが難しい時期を迎えているのではないかと感じるようになりました。

お寺の息子さんと結婚して、静岡に移住

そして、現在は結婚を機に静岡に移住。

高齢者相談センター勤務と、判断能力は少し低いが地域で社会生活を送っている人達に対して金銭管理や福祉のサービス契約の立会いなど日常生活の支援を行う事業での勤務を経験しました。

2020年現在、フリーのソーシャルワーカーとして活動しています。

デスカフェの開催

まずは「気軽に生きることや死ぬことについて話ができる場を作りたい」と考え、

スイス発祥のDeath Cafe(デスカフェ)という茶話会の存在にいきつき、

2018年1月から開催をしています。

デスカフェのモットーは「お茶を飲み、ケーキを片手に、死について語り合おう」というもの。

カフェで他愛のないおしゃべりをするように、気軽に、日常生活のつかの間の時間で、皆さんとお話していきたいと思っています。

もっと日本という国で、人がいきいきと考え、自分の選択で生き、人生を終えることができる社会をつくりたい。

それが、今の私の考えです。まずは、生活の場である地元・静岡から、この取り組みを広げていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

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